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五月病かなあ・・・

連休明けは知らず知らずにため息が増えてしまう。

というより、なかなか私にとって意気消沈してしまう出来事があった。
原因は自分の能力としかいいようがない。

一つのことを目標にがんばったつもりが、「出来る」と過信していたことに気づいた。

もうあきらめようかなぁ。
もう一年だけがんばろうかなぁ。

自分に自信がなくなるとき、とても不安や孤独を感じます。
どうすれば復活するのでしょうか?
自分に自信がつけば復活するのかもしれませんが、
その前に自分を立て直さないと自信の裏づけも出来ませんよね。

こんなとき、私の生き方は間違っていなかったのか、なんてことまで不安になってしまう。

みみべると出会ってから、いくつか潜り抜けた出来事。
でも、周囲にオープンにすることもなく、親にも言わずに
このまま過ごしてもいいのかという疑問。
みみべると出会って、結果的にいろんなものを遠ざけた。

もしかしたら今の私の生活は非現実的なのかなぁ。

かといって、後悔したり後ろ髪引かれながら生きていくのは嫌だと思ったから
みみべると一緒にいることを選んだし。

笑っていないと、みみべる悲しんじゃうから考えるのをやめよう。

自信喪失したとき、モチベーションをあげるのに良い方法を何か
ご存知の方いらっしゃいませんでしょうか?m(. .)m
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by pop-daisy-go-go | 2005-05-10 09:25 | je pense...

そして私たちは?

突然みみべるに不幸があったら?
  なんて考えたくないです。けれど、何もないという絶対の保障は誰にもありません。

そんなとき、私たちの今の関係ですと法律上の手続きは一切できません。
手段としてはいくつか考えられる方法はありますね。
ただし、まだその手段への一歩には進んでいません。

昨晩そんな話をしていたとき、気づいたら涙が出てきちゃったんですよ。
みみべるは、「大丈夫、ちゃんとしよ」と言ってくれます。

同性カップルだけではなくても、
今は「結婚」という枠にとらわれない人たちも多く、
未入籍カップルも多いと聞きます。

それぞれの価値観や生き方によって、選択する道がいくつもあります。

私たちの場合はどうなるのかな。
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by pop-daisy-go-go | 2005-04-26 12:48 | je pense...

反省の日

PCトラブルからはじまり、反省の日々が続いております。
昨日は天気の悪さも手伝ってテンションも低く、自問自答の夜を過ごしてました(笑。
すると日常生活の中で思いついたことが・・・。

まったく悪気は無くても、思わぬところで思わぬ誤解を生んでいたりすることは
生活していると大なり小なりありますよね。

「話す」ということは、その受け手の立場や環境によっては
不愉快な気持ちにさせてしまうこともあります。
こちらに悪意がなかったとはいえ、知らず知らずに
誤解を招いたり傷つけたりしないように気をつけたいものです。

職場では、主に隣のデスクの女性と仲良しです。
彼女は私よりもちょっと年上で、これまた掴み所が無くて素敵なんです。
お互い、本当に日常の出来事を家族のように話し、あまり気を使わなくても気楽な人。

彼女は外面的には、本当の意味でお嬢様がそのまま大人になったかんじ。
一見すると、細かい神経の持ち主のようにみえます。
しかし!、この人、実はすごーく大雑把。そしてその大雑把を知っているのは私だけ(笑。
どれだけ、私がフォローしていることか(汗
でも、彼女は私の苦手分野のフォローを適宜してくれます。

感性や趣味は違うのですが、居心地の良い女性。
家族や恋人ではないのに、思いついたこと何をしゃべってもふんわり受け止めてくれるひと。
    ありがたいことです。。。
    
そばにいる人に恵まれているおかげで、自分の視野が狭くなってしまってもいけませんね。
たくさんの人がいて、それぞれに違った感性があるわけですから、たとえ悪気はなくても、
少し周りを広くみなくては。と思いました。

あまり人間関係のトラブルに巻き込まれることがない私なのですが、
だからこそ、周りにいる人への感謝と配慮を自ら意識しようと思う今朝でした。

彼女とは二人でお昼を食べたり、会社抜け出してお茶に行ったりすることがあります。
そんな時間を過ごしていると、「このままずーーっとこうやってお茶していたいなぁ・・・」
なんて思ったりもします。
そしてデスクに戻ったとき、上司に苦笑いされながら次の仕事の書類を渡されるわけです(泣

   パーテーション越しにこんな風に書かれているなんて知らないのよね、くすっ
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by pop-daisy-go-go | 2005-04-21 10:34 | je pense...

彼女の決断

友人からの電話。

離婚を決断したという。

「おめでとう!」


離婚が良い悪いの価値判断は、当事者でないかぎりできません。
迷い迷って、悩んで考えて、前を向いた彼女の姿勢を祝福したいと思いました。

彼女のすばらしいところは、いかなるときも
「どうしたらいいのか?」と発言しなかったこと。

私の悩みを散々聞いてくれたあとも、「こうしたらいい」という発言もしない友人。

人が、自分の人生の決断をすることができるのは自分ですね。

よわったとき、頼りになる人物、占いなどに助言を求めることは多くの人があるのではないでしょうか。
そこで助言をうけることは良いと思いますし、そこから自分にとって心落ち着く言葉や
刺激を受ける言葉を聞けることもあるかもしれません。
けれど、そこからどの道を選択するのか決断するのは自分。
仮に、占いどおりに決めたとしても、その占いの結果を信じることを決断するのは
「自分」ということではないか、とも思います。
自分が決めた道こそが、他からどのように映ろうとも自分に与えられた最良の道なのかもしれません。

いかなる権力者、道徳者、精神世界の達人からの指南があろうとも私の道は私が決めます。
だって、「私」が歩く道ですから。

生きていくうえで、ハードルと出会うとき
そこに、ぶつかること、よけること、一生懸命に呼吸をして呼吸困難をおこしながら飛び越えること
すべて間違っていることなんてないのではないかと思います。
その人それぞれの適した方法で進むことが誰でもできると思います。

ただ、そこで立ち止まることができないということだけが、共通することかもしれません。
無常にも時の流れは、人を、ある時間で停止することを許しません。
自分ひとり身動きが取れないと感じても、時計の針は動いています。
鼓動の音も聞こえます。

彼女は、私の友人は、ハードルの越え方を模索しつづけ次のステップに進もうとしています。

Congratulations!
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by pop-daisy-go-go | 2005-04-12 10:37 | je pense...

いまどきの「がんばれ」事情

なんだか、最近私、おしごと、「がんばって」る感じ(笑。
昨日友人からも「ももべる、がんばってね」と応援を受けました。
そして、私も、「ありがとう!○○もがんばってね!」という会話。

と、ふと思ったのが、
いまどき下手に「がんばってね!」って言えない傾向があるときがあります。
学生の頃、福祉関係の何かの講義(←大学の授業)ではじめにききましたが、
要するにうつ傾向の人に対して、その言葉を言うと
余計にテンションはって病状悪化、もしくは看過しないことがあるということですね。

こればかりは、うつ傾向やうつ病で真剣に悩んだ経験のある人でないと
なんとも言えないかも知れませんね。
幸い、私自身が心の病で悩んだことは無いので
あまりうっかりしたことは言えないですね。

ただ、周りの、善意の気持ちから発する「がんばって!」という言葉を
悪言と解釈する最近の傾向はどうもいただけないところを感じます。

「がんばらないでいることが良いことなんだ!」
という、流行の思考に流されてしまうことを美徳と解釈することに
迎合することは抵抗を感じてしまいます。

今は心の病を抱えた人は多いといわれますが、
外観で判断できるものでもありません。
「この人に『がんばって』といったらいけない」という基準があるわけでもありません。
  ・・・私、きっと知らずに言っちゃってるわねー・・・ちょっと反省しなきゃね

確かにその言葉が毒となる人もいるとは思いますが、
私はこの言葉は好きですよ。

がんばることは悪いことでしょうか?

がんばることが結果的に負に働くということは、
そもそも、がんばる方向性がちょっと違っていたということなわけですから、
素直に方向転換すればきっと良いと思います。

がんばる人は美しいですよ。
「がんばらなくていい」として、後ろ向きな姿勢をとるよりも
「がんばってみようかな」と、前を向いている姿勢の方がきれいかな、なんて。

物事は多元的に考えたいです。
そのなかで、自分にとっての本当のメッセージがあるわけですから、
一義的な判断で、物事悪くとってしまうのは損してしまうこともあると思います。

だから・・・「みみべる、がんばってね!」
          あたしもがんばるんだもん。
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by pop-daisy-go-go | 2005-04-08 09:14 | je pense...